自分の才能を信じられるか

インターネット某所の掲示版では、小説の新人賞について、最終候補に残っていれば何月ごろに編集部から連絡があるとかないとか色々な噂が飛び交っています。

私も9月末締め切りの新人賞に応募しているのですが、もし最終候補に残っていれば今ごろにはもう連絡が来ていないとおかしい。私の携帯電話には勧誘以外の着信はなかったので、きっと最終候補になる前に落選したのでしょう。

一次選考で落ちたのかもしれないし、あるいは意外と良い線までいったのかもしれない。3月に予選通過の発表がありますから、あと数週間で答えが出ます。

2005年から小説新人賞の応募を始めました。これまでに新作12作を応募し、中には予選通過したものもありますが、多くは一次落ちです。

応募する時は、それなりに自信を持っていて、それは願望と区別するのは難しいのですが、今回こそは上手くいくのではないかと予感しながら、結果を待つ。しかし、良い知らせはやって来ず、ひどく落ち込みます。

何回落選を繰り返しても、落選に慣れることができない。もう小説を書くのは無理だ、やめたほうがいい、と思ってしまうほど気持ちは塞がる。

今、応募中の新人賞に関してもそうで、3月末締め切りの別の賞に応募する作品を新しく書こうとはしているものの、どう書けば良いのか、何を書けば新人賞を取って世に出ることができるのか、自分のなかで分からなくなってしまいます。

芸術家としての気概があるのなら、他人の評価なんて気にせず自分の信じる道をゆけば良いとおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、小説の場合、作品を創ることよりも、読んでもらうことのほうが難しい。文学フリマに出たところで知り合い以外で買ってくれるのは20人くらい。やっぱり多くの人(あるいは読んでほしい人)に読んでもらうには、「世に出る」必要があります。

私は新人賞が欲しいのではありません。賞が欲しいのではなく、作家として世に出たい。もしどこかの編集者から声がかかって作品をしかるべき雑誌に載せていただけるのであれば、新人賞とか取らなくてもぜんぜん構わない。けれど、現実的には新人賞を取るしか「世に出る」手段はない。

今回こそはいける、と思った作品であってもやっぱり上手くいかないと、ではどうすればいいのだろう、と書くことすら難しくなる。新人賞を取るために書くというのは本末転倒というか、本来ならば傑作(あるいは良い作品)を作ることを目標にして創作活動をするのがいいのだろうけど、現実的には賞を取るために書かざるを得ない。

自分の才能を信じることができるのであれば、信念に従ってただ書いてゆけば良いのですが、こうも失敗続きだと自分の芯のところを信じることもできずに、賞を取るための傾向と対策ばかり考えて、結果、余計に面白いものが書けなくなっているような気もします。

2016年から3回、文学フリマで出店しましたが、書き手としてのキャリアには繋がっていないと思います。なかなか八方塞がりな現実ではありますが、私はフィクションを作るのが本当に好きで、新しい世界が自分の力で立ち上がってゆくのが面白くて仕方ない。文章を書くこととフィクションを書く(=世界を創造する)ことのふたつを満たすことのできる小説という表現形態を自分は愛している。小説は書きたいと思うし、たぶんこれからも書いてゆくのだろうけど、やっぱり自分の作品を多くの人に読んでもらいたいと願うし、いったいどうすればいいのか、如月の寒空の下で考えあぐねています。

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